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医師の法的責任とリスク① ~医業の公共性に伴う厳しい責任について~

2022.10.25ブログ

令和4年10月
弁護士 金子達也

1 医師について定めた法律は医師法です。
  医師法1条は、医師があるべき姿として、「医師は、医療及び保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする」と定めています。
  これは、「医業の公共性」を定めた条文とも言われます。
  この「医業の公共性」を踏まえて、医師の責任に対する厳しい見解を示したと思われる裁判例があったので、紹介します。

2 この裁判は、医師が色覚異常者に対して行ってきた特別な治療法について「色盲“まやかし”療法」などの大見出しを掲げて批判報道をした新聞記者及び新聞社に対し、その医師が、名誉毀損であるとして謝罪広告等を求めた民事訴訟です。
  この裁判の第1審判決は、「本件記事が報道されることによつて、原告に対する医師としての社会的評価が著しく失墜させられるに至った」、「記事中に摘示された事実につき真実であることの証明がなく、また真実であると信ずるにつき相当な事由がない」として、記者らに謝罪広告等を命じました(東京地裁S61.3.31判決)。
  このように、第1審判決は、医師が行っていた療法が「まやかし」であったことの証明はなかったとして、記者らに謝罪広告等を命じたのです。

3 ところが、第2審判決は、以下の理由により、第1審判決と逆の結論をとりました。
  第2審判決は、まず、「本件記事は、一般読者の普通の読み方を基準にすれば、医師が行っている色覚異常の治療に関して医師としての社会的評価を低下させるものと認めることができる」が、「個人の名誉の保護と表現の自由の保障との調和を図る見地に立てば、批判、論評等を含む表現行為により、その対象とされた人の社会的評価を低下させることになった場合でも、当該表現行為が公共の利害に関する事項に係るもので、その目的がもっぱら公益を図ることにあり、かつ、その前提としている事実が主要な点において真実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶなど批判、論評としての域を逸脱したものでない限り、右表現行為による名誉侵害の不法行為は成立しないというべきである」との、それまでの裁判で受け入れられてきた一般的な規範を再確認しています。
  その上で、第2審判決は、本件について、「本件記事は、医師の治療及び宣伝・広告行為に関する報道であるから、医師法1条等の規定及び事柄の性質、内容に照らして、公共の利害に関する事項に係るものであると認められる」、「本件記事は、医学上不治とされてきた色覚異常の治療方法に関するものである。科学の進歩に伴い、従来不治とされてきた疾患について新たな治療法が発見、開発され、あるいはそれまで異端視されてきた治療法の有効性が承認されるに至ることがありうること、更には、世上いまだ学問的に解明されない治療法が有効として行われている例も見られることは、否定しがたい事実である。しかし、本件訴訟は、もとより、このような事実があることを前提にして医師の色覚異常に対する治療方法の有効性について科学的判定を下すことを目的とするものではない。本件当時一般に承認されていた医学水準に基づき、医師の治療方法を根拠のないものとして指摘、批判することかどこまで真実として是認されるかを判断するものである。したがって、医師の治療方法が科学的に全く成り立つ余地のないことまでを論証することが、真実性の証明として必要とされるわけではない」、「本件記事の内容は、主要な点において真実であり、批判、評論にわたる部分も事実に即したものであると認めることができる。そして、右批判、論評が医師に対する人身攻撃に及ぶなど批判、評論の域を逸脱しているとは認められない。してみると、控訴人らが本件記事を報道したことは、被控訴人の社会的評価を低下させるものではあるけれども、名誉侵害の不法行為は成立しないというべきである」と判示して、医師の請求を棄却しました(東京高裁H2.9.27判決)。

4 このように、第2審の東京高裁判決は、『医師の治療方法が科学的に全く成り立つ余地のないことまでを論証することが、真実性の証明として必要とされるわけではない』と判示して、新聞記者らに求められる真実性の証明のハードルを少し下げています。
  しかし、この新聞記事が、大見出しで『まやかし』、つまり『偽物』とまで謳っている以上、新聞記者らが名誉毀損の責任を免れるためには、医師の手法が『まったく成り立つ余地のない偽物であったこと』まで証明する必要があったのではないかと、筆者は感じています(第1審判決も、同様の考えで、記者らに謝罪広告等を命じたのではないでしょうか。)。
  ですから、筆者は、この東京高裁判決では、医業の公共性を重視するあまり、医業に関する批判報道を殊更強く保護したいという裁判官の気持ちが大きく働き、その結果として、『まやかし』とまで批判された医師の謝罪広告等の求めを認めなかったのではないかと感じています。

★千葉市の弁護士事務所『法律事務所シリウス』より★