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刑事裁判と自閉スペクトラム症(ASD)

2021.10.15ブログ

1 自閉スペクトラム症と責任能力
 自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder:ASD)と診断される被告人は,一定数います。なお,自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害は,DSM-5(『DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル』医学書院)による診断名ですが,ICD-10(『ICD-10 精神および行動の障害』医学書院)だと,広汎性発達障害となります。

 自閉スペクトラム症だから,犯罪を起こしやすいということはありません。
 ただし,自閉スペクトラム症の人が起こした事件は,動機が一般的な感覚からは了解しにくいものも多く,責任能力が問題となることも少なくありません。
 なお,自閉スペクトラム症が犯行に影響を及ぼした場合であっても,通常は,心神喪失や心神耗弱という判断にはならず,その症状(裁判例によっては,「2次障害」「2次的問題」などとよばれることもあります。)がいわゆる精神病症状であると評価されるときに心神耗弱とされることがあります。

 例えば,大阪高裁平成21年3月24日判決は次のように判示して,心神耗弱であったと認定しています(第1審の懲役18年を破棄して,懲役15年としました。診断名は,当時の診断基準に従いアスペルガー障害となっていますが,現在のASDと同じだと考えられます。)。

「当時の被告人が,アスペルガー障害の患者としては極めてまれな程度の著しい幻覚妄想等の精神病様症状(心因性ないし反応性の精神病水準の幻覚妄想状態)に陥っていたなどとする当審鑑定人作成の鑑定書及び同人の当審証人尋問の結果の指摘をも考慮に入れて,被告人の認識内容や主観面を再検討すると,本件各犯行当時,被告人は,アスペルガー症候群と著しい幻覚妄想等の精神病様症状の影響により,自己の行為の是非善悪を区別し,これに従って行動する能力が著しく減退した心神耗弱の状態にあった。」

2 自閉スペクトラム症と量刑
 責任能力が問題にならない場合,自閉スペクトラム症の方の量刑が問題となりますが,自閉スペクトラム症の特性故に,法廷で述べる言葉が,被害者への謝罪や反省がないと評価され,量刑上不利益に扱われてしまうこともあります。

 大阪高裁平成25年2月26日判決(判例タイムズ1390号375頁)は,アスペルガー障害の影響を量刑上大きく考慮することは相当ではないとした第1審について,次のように述べています(第1審の懲役20年を破棄して,懲役14年としました。)。

「本件の経緯や動機形成過程へのアスペルガー障害の影響の点は本件犯行の実体を理解する上で不可欠な要素であり,犯罪行為に対する責任非難の程度に影響するものとして,犯情を評価する上で相当程度考慮されるべき事情と認められる。そうすると,原判決が本件犯行に関するアスペルガー障害の影響を量刑上大きく考慮することは相当ではなく,本件の犯情評価として,被告人に対しては長期の服役が必要不可欠であると説示し,本件が殺人罪の中でも特に重い類型に属すると評価している点は,本件犯行の実体を適切に把握せず,被告人の責任非難をその限度で減少する方向に働く重要な量刑事情の評価を誤ったものといわざるを得ない。」

 自閉スペクトラム症の被告人の言葉を表層的に捉えてしまうこと,あるいは,共感性が欠如していると内省を深める作業を諦めることも問題です。

 自閉スペクトラム症に詳しい精神科医の安藤久美子先生は,その論考で次のように述べており,弁護人にも参考になると思い,紹介させていただきます(安藤久美子「精神鑑定における『発達障害』の診断が果たす意義と役割」51頁,司法精神医学・2021)。

 

〔安藤論文の引用〕
「反省がない」「謝罪がない」という点についても,表面的な言動として「反省しているようにみえない」「謝罪の言葉を述べない」ことに対してマスコミやあるいは医療者までもが一方的に非難しているだけであって,筆者が一般臨床でも精神鑑定の場面でも,これまで出会ってきた多くのASDと診断されてきた人たちをみていると,反省や謝罪の気持ちは十分にもっているようにみえる。しかし,その表現方法が通常期待されるものとかけ離れているため,相手には通じないどころか,かえって感情を逆なでさせえるような言動になってしまっていることもある。たとえば,「食事はしっかり食べて,健康に気をつけるように生活しています」と述べる背景には,「出所後には体力の限界まで働いて賠償金だけでも受け取ってもらえるように,今は健康に気をつけている」という意図があった。また,「誰に謝罪しろっていうんですか?」という言葉の裏には「死んだ人にはもう謝ることができないので,どうしていいのか分からなかった」という混乱があった。もちろん,これらのようなケースばかりではないかもしれないが,少なくとも安易に表面的な反省や謝罪の弁を求めたり,「特性による欠損」ととらえて贖罪の作業を諦めるのではなく,彼らの言葉のなかにある真意を引き出したり,適切な表現の仕方について丁寧に伝えていくようなアプローチが必要であると思われる。

 

2021年10月 

弁護士 菅 野 亮

 

★千葉市の弁護士事務所『法律事務所シリウス』より★